古民家に想う事  ~理事長のブログ~


記事更新日:2016年06月16日

今回のブログは、日本住宅新聞に依頼された平成28年4月25日・5月5日記事全文を掲載いたします。

建築業界に携わり45年が過ぎ去り65歳を迎えるにあたり、今ここで少し自分が歩んで来た建築の世界を私なりに振り返りながら最近思う事をまとめてみました。

昨今のこの住宅業界の価値観の多様化及び時代の流れの変わりの激しさに加え行政の複雑な法的な整備に業界全体が振り回されながら尚且つ日々の業務に振り回されながらの板挟み状態の業務の中で最後の生き残りをかけての勝ち残り組の間での壮烈な争いの幕が今下りようとしております。

 

昨今のこの住宅業界の価値観の多様化及び時代の流れの変わりの激しさに加え行政の複雑な法的な整備に業界全体が振り回されながら尚且つ日々の業務に振り回されながらの板挟み状態の業務の中で最後の生き残りをかけての勝ち残り組の間での壮烈な争いの幕が今下りようとしております。


たぶんお祭り騒ぎの景気の東京オリンピック終了までに勝敗が決まり新しい業界の新しい建築の道筋が引かれるのではないのかと私は個人的に思っております。

勝負は2020年以後に向けて設定し計画すべきではないでしょうか。


そんな中、行政の法整備が進み、基本的に大きく見れば日本中の住宅はみな同じ規格になってしまう差別化の無い横一列の性能優先の規格住宅化が今以上に進む可能性があります。


その中で、今私共が全国に展開している全国古民家再生協会の活動並びに伝統工法による古民家の保存再生から活用方法それから今社会問題になりつつある古民家の空き家の維持管理に至るまで幅広い活動を全国の会員一同で活動しております。

また古民家の定義は法的には一切明記がありません。私共の会では国の登録有形文化財制度が50年以上経過した建物を対象にしている事に準じて50年以上の建物を古民家と定義しております。また住宅を建築するには建築基準法と言うルールに基づきすべてにおいて平等に工事が行われます。

以上のように建築は国により建築基準法と言うルールの上で成り立っております。
しかし、現行法が出来る前の昭和25年以前に伝統工法により建てられた古民家は今の現行法の枠の外にあり現在も既存不適格建築物として多くが存在しております。
これらの建物をリフォームする場合、現行法に合わすか、安全を自らが証明すれば現状のまま存在させることが可能であります。現行法に合わせれば古民家の良さである開放感のある間取りが耐力壁の増設で失われると同時に伝統工法の仕口継手の伝承が途絶えてしまいます。

また、安全の証明ですが現状では限界耐力計算や時刻歴応答解析がありますが複雑で時間や費用負担が大きく費用対効果が悪く現実的でありません。となると手早く現行法に合わせての施工となりリフォーム時にこの貴重な伝統工法で建てられた古民家群がすべて今の現行法で建てられた新築住宅と同じ様な住宅として生まれ変わってしまうのが現状であるのであります。

そこで、今私共全国古民家再生協会と私の母体である工務店は他社との差別化としてまた技術の高さの証明として現行法でのリフォームをせずに先ずは古民家の文化的な価値を見直すために古民家を調査、鑑定し、コンデイションを把握し明確したうえで全国動的耐震評価連合会と共に古民家動的耐震診断を行います。この測定は従来の図面上での診断でなく現地で古民家の測定を行う為に安心感が違います。

そして診断結果と共に改修の提案方法に基づき伝統工法で建てられた古民家を日本の住文化として古民家そのものとして後世に残すことに努めております。
このような我が社の想いを伝えようと今本社社屋を新潟は越後の築150年の合掌造り古民家をこの三河の地で移築再生工事中であります。
実は本社建設に当たり、長年全国の古民家を見て回った結果行き着いた処が越後の豪雪地帯の合掌造りの古民家が日本の古民家の原風景ではなかろうかと思うようになりました。


特に合掌梁を支える鉄砲梁(三河地方ではチョウナ梁)と呼ばれる古材の見事な材にこの越後を訪れる度に感心し興味を持つようになりました。この鉄砲梁は雪深い山の傾斜地に育つ木材が豪雪の重み重力の原理で根元が火縄銃の銃座のように曲がる材の事を指します、私たちの雪の少ない三河地方ではめったに見る事のない貴重な材でもあります。この様な貴重な材がこの集落の全ての古民家に豊富に使われております。またこれらの集落は山の中腹以上の高い位置に建っております。輸送手段が人馬しかない時代この大きな断面の材木を如何してここまで上げたのか単純な疑問に、地元の大工さん曰く、当時は建設地より高い位置の山で伐採しておき雪のある時期に雪の上をソリの原理で滑らせ上の山より下ろす事で大きな材木をいとも簡単に豊富に使う事が出来たとの事、当然建設現場にて大型の鋸、チョウナなど手作業で製材したものであります。


この越後の古民家を現地の大工さんと、我が社の大工が現地で協力して番付け、絵図板(板に墨で書いた平面図)を書きながら手作業でレッカーの助けを借り二日間で解体し作業場に運搬後水洗い磨き終え番付け毎に整理し保管、ただしこの越後の古民家は合掌造りの為に移築に当たり現行法の木造の最高の高さ13メートルを越える為またサス造り(合掌造りの梁の接合部分が鉛筆の芯のようにして梁の上に「やじろべい」のように置いただけの構造)の為強度的に不安があり諦めこの小屋の部分を三河地方の釜屋造りの古民家の小屋組みを古材で墨付け刻みを行い合掌の変わりに使う事に成りました。


結果本社社屋は越後の古民家を軸に階高の高い部屋の一部に中二階を設け部屋に利用し合掌部分を撤去し三河の釜屋造りに変更また古材の越後の鉄砲梁と三河の釜屋造りの古材をふんだんに使い増築をした、越後と三河の古民家のコラボ古民家がここに見事に誕生いたしました。


尚且つ古民家の町屋の商家の意匠的な傑作として名高い「うだつ」にも挑戦いたしました。
この「うだつ」造りのキーポイントは瓦の破風造りにあります。特注で破風付き瓦を両サイド造る事で問題解決です。私共の地元近くの和紙で有名な美濃市の「うだつ」の街並みが全国的に有名であります。


この様に私をこの古民家の世界に導いた根っことしての部分は35年程前のアメリカ、ジョージア州での店舗設計の経験があります。当時日本人が持ち込んだショー的鉄板焼肉が全米で人気でその様な店の設計に携わりました。

和風を持ち込み地元の設計事務所と通訳をかえし業者を巻き込んでの打ち合わせ、結果異国米国で「和」の深さ「和」の魅力のとりこに成りました。私の建築の生き様は若い頃の米国でのこの出来事、実は答えは自分の一番身近である足元にあったわけであります。今思うと何とも滑稽な事であります。人生はこんなものかとつくづく思う今日この頃であります。

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